My Cinema Talk World: 10月 2013

2013/10/31

ルル・オン・ザ・ブリッジ(Lulu on the Bridge)ー 若く美しい女性と中年男の恋の行方はまさかの?!

lulu-on-the-bridge.jpg

ストーリー
サックス奏者、イジー(ハーヴェイ・カイテル)はライブ中に発砲事件に巻き込まれ重傷を負った。一命はとりとめ退院した彼は電話番号が書かれた紙ナプキンと不思議な蒼い石を手に入れる。紙ナプキンの番号に電話を入れたことがきっかけで駆け出しの女優のセリア(ミラ・ソルヴィーノ)と知り合い、恋に落ちる。幸せな時間を過ごす2人。だが、セリアが古典的な名画『パンドラの箱』のリメイクのヒロイン“ルル”役に選ばれ、ダブリンヘ撮影へ旅立ってから運命は変わり始める。

スタッフ
監督・脚本・原作 ポール・オースター

作品データ

原題      Lulu on the Bridge
製作年      1998年
製作国      アメリカ

キャスト

イジー・モーラー:ハーヴェイ・カイテル
セリア・バーンズ:ミラ・ソルヴィノ
ヴァン・ホーン博士:ウィレム・デフォー
ハンナ:ジーナ・ガーション
キャサリン・ムーア:ヴァネッサ・レッドグレイヴ
フィリップ・クレインマン:マンディ・パティンキン
ピエール:ヴィクター・アルゴ
ボビー・ペレス:ハロルド・ペリノー・ジュニア
デイヴ・ライリー:リチャード・エドソン
ソニア・クレインマン:ソフィー・オースター
本人のソックリさん:ルー・リード
笑う男:デヴィッド・バーン

以下 ネタバレあります

「ルル・オン・ザ・ブリッジ」ときくと、どうしてもアパレル・メーカーを思い出してしまう...
この映画からいただいたのでしょうか。
某洋服メーカー。(調べてみないとわからないのだけれど。)

【うーん。なにやら一癖ある映画…どこかで見たな、この不可解さ】
作家のポール・オースターが脚本、監督を手がけた本作です。
私が一番最初に見たのはやはりWOWOWでした。
最初の印象は、なんだか不可解な雰囲気がただよう映画だなーと。
というか、イジー(ハーヴェイ・カイテル)がおかしな男の銃弾に倒れて虚ろな目で天井を見上げているシーンで
「これは、もしかして。。。」って感じたのですが見事に当たりました。
撃たれる前、ライブが始まる直前にトイレでおしっこをしているイジーは壁一面に貼られた新旧さまざまな女優の写真に見入っているのだけれど、その中にセリア(ミラ・ソルヴィーノ)の写真もありました、それ繋がりで想像してしまうワケです、ストーリーを。
私が感じたこの作品の不可思議な雰囲気というのは、イジーが撃たれて以降の話の展開があまりにも唐突すぎるというかうまく行き過ぎてるし、その後突然ワケの分からない悪役っぽい人たちに(イジーが拾った青白く光る石を探しまわっている一味)捕われ尋問を受けるシーンがまるで舞台の上の俳優っぽく見えたりする。
全体に流れる空気がとにかくおかしい…出演者も映画の中のもう1つの映画か舞台の俳優みたい、客に見せているように演じる俳優たちが舞台で白々く造られたセリフをはいているみたい。
カメラの人物の捉え方や人々の表情どれをとっても不自然です。
このしらじらしさ、どこかで見たことありますね、そうです、「マルホランド・ドライブ」です。
ベティの夢の中での人々がこれと似てる雰囲気を醸し出していました。すべてがベティの思い通りの展開でしたよね。
「ルル….」でもイジーが捕われる前までは、イジーの都合のいいようにお話はすすみます。中年男が不思議な青白く光る石を拾いそれがきっかけで若く美しい駆け出しの女優、セリアと出会って恋におちる。女優はイジーの口利きでオーディションを受けて大作への出演が決まる。
そして「マルホランド・ドライブ」の中で出て来たカウボーイは、この映画では謎の男ヴァンホーン博士(ウィレム・デフォー)だと感じました。イジーが死ぬ間際に、自分自身に「お前の生き方はどうだったか?」と問いかける、問いかける役割を果たしているのがヴァンホーンです。
幼い頃、兄とホタルを捕まえた思い出。この思い出はイジーにとって楽しいものではなく、家族と彼との間に溝を作る原因になったものでした。いつまでも頑に家族との関係を拒み続けた彼。
ホタルの光=不思議な光る石
ですね。

lulu-on-the-bridge-03-g.jpg

ラストはあまりにも悲しいものでした。
救急車の中で息絶えてしまうイジー。偶然通りがかった救急車の警笛が突然止まり、通りがかりのセリアが十字を切る。
イジーとセリア...実際には何のつながりもない、たまたまトイレの壁に貼られたセリアの写真を見ただけ。。。悲しすぎる現実。
亡くなる瞬間自分の人生に何らかの悔いが残っていたとしたら、それほど悲しいことはないと思います。
「マルホランド・ドライブ」は2001年の作品、そして「ルル・オン・ザ・ブリッジ」は1998年の映画です。
リンチ監督はこの作品を見たでしょうか…。
ミラ・ソルヴィーノ。最近は映画には出演していないようですが、どうしているのかな。
可愛らしくて、好きな女優でした。(お父様はバズ・ラーマンの「ロミオ+ジュリエット」でジュリエットの父を演じていたポール・ソルヴィーノです、よく似てますね)
そして、ハーヴェイ・カイテル。主役を演ることは少ないけれど、これまた好きな俳優です。
風貌がとくに好み!インディアンみたいな顔ですね、彼。寡黙で意志が強くて優しそう。「テルマとルイーズ」でもとてもいい役、ハマり役でした。
映画の中にカメオ出演でルー・リード(先日亡くなったばかりですね、残念です)やデヴィッド・バーンも出ています。
 
にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村

2013/10/29

80年代という特殊な時代。「ナインハーフ」


ナインハーフという80年代の映画をご存知の方って、あまりいないかもしれないですね。
邦題「ナインハーフ」原題は「9 1/2 WEEKS」 ―― ほとんどそのままです。
男と女が出会い、別れるまでの9週間半という期間を描いた作品です。
公開された当初は、映画のエロティックな部分ばかりが強調されて「セクシーほにゃらら」とか「エロティック・サスペンス」みたいななにやらその部分ばかり強調したような紹介のされかただったことを記憶しています。
それに加えて、ミッキー・ロークがブレークするきっかけとなった映画でもあります。

ナインハーフ(原題:9 1/2 Weeks)

監督:エイドリアン・ライン / 製作年:1986年


ミッキー・ローク。
いまは、すっかり形相も変わってしまい、フランケンシュタインっぽい雰囲気を醸し出しています。顔を別物にすげ替えてしまったとしか思えません、2枚目路線を捨てて怪物キャラに転向するためか?
私、TVの映画紹介のコーナーで初めてこの作品のトレーラーを目にしてなぜか心引かれたのですね。
キム・ベイシンガーのセクシーな下着姿とか、ベイシンガーとロークの絡みに興味を持った訳でもなく、(いや、それに惹かれたのも多少はありました。ほんとは)映像が独特でスリリング。「これは何かあるな….面白い展開が。」と想像を巡らせるシーン満載だったのです。
とかく、映画のトレーラーってそういう風に創られていることは知っているものの、やっぱり映画館に行ってしまうワケなのですよ。
スモークや夜のニューヨークの景色、陰影そしてネオン、光を効果的に取り入れた手法でとても魅力的でわたくし好みな撮り方をするんですよね、エイドリアン・ラインという監督さん。
「フラッシュ・ダンス」や「危険な情事」の監督でもあるライン。
映像&音楽で惹き込むタイプの監督さんですね。
最近はどうしているのでしょうかね?


ストーリー
ニューヨークのギャラリーに勤めるバツイチのエリザベス(キム・ベイシンガー)は、画廊に勤める美しいキャリア・ウーマン。ある日、友達とチャイナタウンに行った際、ハンサムな男(ミッキー・ローク)に声を掛けられ、ときめいてしまう。翌日、ノミの市でスカーフをながめていた彼女。チャイナタウンで出会った男が、またも彼女の前に現れスカーフをプレゼントする。すっかり彼とうちとけ合い、レストランで食事をした。その後、2人は….

スタッフ
監督      エイドリアン・ライン
脚本      パトリシア・ノップ、ザルマン・キング
製作      アンソニー・ルーファス・アイザック、キース・バリッシュ
公開      1986年全米公開
原題
      9 1/2 Weeks

キャスト
ミッキー・ローク(ジョン・グレイ)
キム・ベイシンガー(エリザベス・マクグロウ)



エロス満載…そして80年代のヤッピーと呼ばれた人たち

確かに、目隠しやムチ、身体にハチミツとかベイシンガーの体当たり演技...
それはもうそういう面でもみどころ満載です、もちろん。
エリザベスがどんどん謎の男、ジョンにのめり込んで行きます。それはもう!仕事も手に付かないくらい!!
ジョンの秘密の家に連れ込まれ、まるで猫が主人にかまってもらうようにチヤホヤされたり、スリリングな逢瀬が愉しくて逢えないときもうずうずして仕方ないんです、彼女。
最初はお遊びのつもりがどんどんのめり込んでしまって、やがて心身ともに辛くなって行くエリザベス。自分でも深入りしない関係だと知っていても不思議とそうはいかなくなる。
ジョンという男はその時代(1980年代半ば)若くてお金も稼いでお洒落で...というヤッピーと称された人種。
お金を出せば何でも手に入るという、うらやましい人たち。
ある意味、表現はよろしくないですが、エリザベスはジョンにお金で買われているようなものかもしれません。お金に不自由していない彼女はそうは思っていないかもしれないけれど。。。
ヤッピーを扱った作品だと「アメリカン・サイコ」、「ウォール街」などがありますので、80年という特別な特殊な時代を知るためにも是非お見知り置き下さいませ。
ヤッピーというと、表側のイメージとは裏腹に倒錯した性、病んだ精神...ってイメージですね。
あ、この映画にちょい役(カメオ出演)でロン・ウッドも出てます。

エリザベスとジョンの立ち位置

特別な関係にすっかり疲れてしまったエリザベス。
耐えられなくなって、別れを切り出したのも彼女からでした。
確かにジョンに夢中になって、何も見えなくなっていたのも彼女。
しかしながら、実のところは ――
そうなんですね。
肉体的な関係から始まって、どんどん深みにはまって心まで動いてしまう。
支配される側と支配する側の関係…9 1/2weeksという期間の男女の変化。
結局はそうなるんだなって感じました。
この映画はエロティックな部分を強調しながらも、実は2人の精神的な部分を描いている作品です。
9週間と半で男と女はどう変化して行くのか ――
ラストの2人が離れて行くシーンがなんともいえません、特にミッキー・ロークの母性本能をくすぐるようなあの表情。
私は、80年代の名作だと思います。
「ナインハーフ」のシークエンスでは
夜のニューヨークの風景...夜、路上から吹き出す蒸気。
ジョンとエリザベスが危険なお遊びに興じて走り回り下水道に入るシーンが、ハラハラで大好きです♪
この時流れる音楽、ジョン・テイラーの "I Do What I Do"がピッタリでした、時々、思い出したように聴いています。




にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村

2013/10/26

夏物語(conte d'été)ー 女の子の膝を愛するE.ロメール監督作品



エリック・ロメール。
女性の繊細な心の揺れ動き、気まぐれ、わがままな部分を描かせたら世界一の監督ともいえるひとです。
なぜこんなに、女性を知っているのか?
作品を見るたび、ゲイかはたまたたくさんの女性とお付き合いして来たのでしょうかねーっていつも短絡的なことばかり考えてました。
2010年に亡くなってしまい、もう彼の作品を見ることはできなくなってしまいました、とても残念です。

夏物語(原題:conte d'été)

監督:エリック・ロメール / 製作年:1996年


むかしむかーし、私が実家にいる頃、WOWOWで小さな劇場で上映される作品、レンタル・ビデオに置いていないような作品ばかりを放映するチャンネルがあってそこで初めてエリック・ロメール作品を知りました。
確か、シネフィル・イマジカだったと思います。
「緑の光線」、「クレールの膝」、「満月の夜」、「レネットとミラベル/四つの冒険」...などなどビデオに録画してたくさん見ました。
(ビ・デ・オ!!)
ロメールの作品はおもに「六つの教訓」「喜劇と格言劇」「四季の物語」のシリーズものに大別されるんですね。
全て見尽したわけではないのですので追々見ていない作品はDVDで見て行こうと考えているワケです。
私がここに感想を書こうとしているのが「四季の物語」シリーズの「夏物語」です。
前回の感想文にとりあげた「ぼくを葬る」のメルヴィル・プポーが主演です。
「ぼくを葬る」の感想文を書いた勢いで初々しい頃のメルヴィル・プポーを思い出しつつ紹介しようかなと思い立ちました。
南仏に憧れる方、フランス好きの方は一度見ておくべきではないでしょうか?
おしゃれな風景が見られますよー。
映画の中にもサン・マロ、レンヌ、ウェッサン島…と地名が飛び交っていて、ブルターニュ地方のリゾート地、ディナールがこの映画の舞台です。
ビーチにならぶ、白と蒼のストライプのテントがこれまたおしゃれです。南仏、そして夏!ってカンジですよね。
「四季の物語」シリーズで唯一、男子を描いた物語です。

ストーリー
ストーリーと言っても前回に同じくこれといったことはあまりないのです。
ガスパール(メルヴィル・プポー)という青年がふらりとひと夏を過ごす為にディナールに、恋人(正確に言えばまだ”恋人”とは言いきれない関係)レナと過ごそうとやってくる。
実はレナはいつこの地にくるかもわからない。気ままに歩き、泳ぎ...偶然立ち寄ったクレープ店で働くマルゴと出会う。
マルゴにレナとの関係を打ち明け、時間を過ごすうちにまた別な女の子が現れ…。

キャスト
    ガスパール:メルヴィル・プポー
    マルゴ:アマンダ・ラングレ
    ソレーヌ:グウェナエル・シモン
    レナ: オーレリア・ノラン
    
監督、脚本:エリック・ロメール
撮影:ディアーヌ・バラティエ
製作:1996年(フランス)
原題:conte d'été

【夏だー、わーい!夏はだれでも足元が緩みがち】
ガスパール。なんか名前からして素敵じゃないですか。
メルヴィルって天パーなのかな、いづれにしてもあの髪型がやたらと似合ってますね。
なにやら、少年っぽさをたたえてます、彼のヘアスタイル。日本人であのヘアスタイルが似合う人ってなかなかいないでしょう。
ガスパールは、憂いをたたえた表情でひとり海辺の町を歩いています。上目遣いの少し物思いにふけった表情も惹きつけられますね。
ちょっと積極的な女の子なら声も掛けてくるでしょう。
クレープ店でアルバイトしているマルゴもそんな女の子の1人。海水浴に来たガスパールに声をかけます。徐々に近づいて行く2人。

マルゴちゃん、かわいい🖤

「実はレナっていう彼女を待っているんだ、彼女と落ち合ってウェッサン島へいく予定だけど、ちゃんと約束したわけじゃないからいつくるかも分からないんだ。」

なんてついつい本音も語ったり、散歩するうちにキスしたり。
(マルゴいわく「ただのキス」)
マルゴに誘われて出かけたディスコでソレーヌという美人の女の子と出会って、あれやこれやになってもう意中の人レナも来ないだろうと出かける約束をしたところにレナがいきなり現れて、もう大変。
そんな若者にありがちな出会って別れてのひと夏、7月半ばから8月始めまでの人間模様をさりげなく描いた作品です。

何を決めるのも相手任せのガスパールと三人三様の女の子たち。
彼が三人の女の子の間でゆらゆらと水に浮くボールのようにひたすら漂っている感がとても面白いです。
はるか昔、「良い子 悪い子 普通の子」とかいう欽ちゃんの番組があったけど、三人の女の子たちがまさにそういうカンジ。
人間をよく観察していてコミュニケーション能力にも長けていて頭がいい、それをひけらかすことのない健康的で魅力的な女の子マルゴ。
自分がもてることをやたらと自慢しながら「自分は軽い女じゃないのよ」と主張する少々自意識過剰のソレーヌ。


ソレーヌちゃんとガスパール

ガスパールの待ち人であるレナは、それ以前の問題ってカンジですね、金髪なだけで美人じゃないし(私の好みでいえば)気分屋でガスパールを手のひらで転がして遊んでるっぽい、彼はレナを「インテリだ」って言ってるけれど一番おバカっぷり全開!


意中のひと、レナ

結局は、女って面倒な存在なんだろうな、ガスパールにとって...いや男にとって。
最終的には...とにかく痛快なラストです。
おいおいっ、ガスパール!って言いたい、そんな結末です。
私の意見を言えば、マルゴちゃんを逃す手はないと思いました、若いのにお利口な女の子です。
マルゴとの会話で「偶然が習慣になるって素敵ね」という印象に残るセリフがありました…フランス映画のこういうさりげない会話っていいんですね。
マルゴ役は、ロメールの「海辺のポーリーヌ」という映画でポーリーヌ役を演ったアマンダ・ラングレです。
彼女、ロメールに気に入られていたようですね、確かに健康的でかわいい女優さんです。





にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村

 

2013/10/23

ぼくを葬(おく)る

JUGEMテーマ:映画

letempsquireste.jpg

あらすじ
パリで活躍中の売れっ子フォトグラファーのロマン(メルヴィル・プポー)は、31歳の若さでガンにより余命3カ月あまりであることを宣告される。

キャスト(登場人物)
    ロマン・ブロシャン:メルヴィル・プポー
    ラウラ:ジャンヌ・モロー
    ジャニィ・シャロン:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
    ロマンの父: ダニエル・デュヴァル
    ロマンの母 :マリー・リヴィエール
    サシャ:クリスチャン・センゲワルド
    ソフィ:ルイーズ=アン・ヒッポー
    医師:アンリ・ド・ロルム


監督      フランソワ・オゾン
脚本      フランソワ・オゾン
製作      オリヴィエ・デルボスク、マルク・ミソニエ
公開      2006年4月22日(日本公開日)フランス映画


「危険なプロット」公開中ということもあり、(私が居住している地域では公開されるはずもありません)フランソワ・オゾン監督の「ぼくを葬る」を久しぶりにじっくり見ました。
あらすじをとりあえず記載しました…転載ですが、ここまでにしました、ストーリーを紹介するとしたらこれで十分です。
あとは、この作品を見ていない方はぜひ見てほしいと思います。
メルヴィル・プポーも「夏物語」の頃は少年でしたが、この映画の頃は31、2歳でしょうか、すっかり味がある演技をする俳優さんになりました。
まずはタイトルですが
「ぼくを葬(おく)る」
葬(ほうむ)る
ではなくて
葬(おく)る
と読むのです。邦題っていつも「何、コレ?!」ってガッカリさせられるタイトルが多いものですが、このタイトルは原題よりも上と言ってもいいくらいです。
傑作だと思います、この映画にピッタリのタイトルです。
【残された時間、どう選択するか】
活躍中のカメラマンが31歳にしてがんの宣告を受ける、余命は数ヶ月。しかも手術は無理、回復するには化学療法のみと言い渡されます。
彼は、医師に一切の化学療法を受けない旨を告げます。死を待つのみです。
まず、この状況を自分に置き換えたらどう選択するかな?って考えてしまいました。
薬物治療や化学療法、抗がん剤。ロマンより治る確率が高くても亡くなっている人たちを見て来ています。
最期までベッドの上に縛り付けられたようにして治療を受けるか、痛みを我慢して自由にしながらその時を待つか。
治療を拒否すれば、ハンパない忍耐力が必要になってきます。日頃から痛さに過敏な自分に耐えられるか…でもベッドで死期をむかえるよりは。。。
究極の選択だと思います。
【ロマンにとって家族、恋人そして祖母】
家族団らんも、ロマンにとっては苦痛に見えます。
特に姉のことを異常に毛嫌いしています、おそらく自分がゲイであるがために(そう、彼はゲイなのです!)健常者の姉と何かと比較されて育ったことが原因かと思いました。
子供の頃は仲良く遊んでいた姉弟が次第に親から差別を受けるようになる…差別といってもあからさまではなく親は無意識なのです。
姉への反発のために“子供“に対しても否定的態度に出てしまう。
偽善に満ちた家族を毛嫌いするロマン。両親も彼に接するときは腫れ物にでも触るよう。結局、家族(両親と姉)にはがんであることは告げません。
唯一、祖母(ジャンヌ・モロー)にだけは余命わずかであることを打ち明けます。
祖母とロマンの会話がしゃれていて、しかもじーんときます。祖母が「なぜ病気のことを私にだけ打ち明けたの?」と問うと「ぼくと同じでもうすぐ死ぬから」と答えます。
「おばあちゃんは、僕と似ている」とも言っています。
こんなことを自分の祖母にいえますか?日本だと孫は必ず「おばあちゃん、長生きしてね。」ですよね。
ロマンが特殊なのかもしれません。彼はお世辞や心にもないことは言いません。
祖母と孫なのに2人は似た者同士という関係でもあり、恋人同士にも見えます。
祖母は言います。
「今夜あなたと死にたい」
と….ロマンが唯一死を共有した相手である祖母の心の底からの言葉。このシーンすごくすてきで感動しました。
ロマンは、別れ際にこれまた深い言葉を祖母に残し、写真を撮り嗚咽します。
唯一心を開いて話せる相手である祖母とひと時を過ごし、もう二度と会うことがないであろうとお互い暗黙のうちに分かり合っていたにちがいありません。
ロマンを見送った後の祖母の背中が印象に残りました。
若い頃のジャンヌ・モローの映画は何本か観ていますが小悪魔っぽい雰囲気を持ち誰でも虜にしてしまう魅力的な女性を演じていました。
��0歳を過ぎた彼女は、1人の人間を身のこなしや後ろ姿で演じ切れる素晴らしい女優さんでした。
【子供をつくる協力をしてください】
祖母の家に向かう途中で立ち寄ったカフェで働く女性と帰りもまた顔を合わせます。
ロマンに共感し、何かいいたそうだった女性がこの時、口を開く。
「夫は不妊症なの。だからわたしとセックスして...あなたは若いから抵抗はないでしょう」と告げる。
誰でも、驚くでしょうね…いきなり1、2回会っただけの女性にそんなことを言われる、しかもその女性と夫の子供をつくる手助けをする。
日本ではあり得ない出来事じゃないでしょうか、おそらく。
結局、彼は最初は断りました…(普通はそうですね。)
しかし、少し時間が過ぎて彼女を訪ね、協力する旨を告げます。
いよいよ、その段になってみて私はちょっと引いてしまったというか、意外な場面に遭遇した気持ちになりました。
子供をつくる行為に及ぶ時、件(くだん)の夫婦とロマンの3人で…だったのです。
えーっ?
ってカンジでびっくりでしたが、考えればロマンはゲイなのですね、そういうシチュエーションで正しいのかこの場合。
この夫婦にも待望の子供が産まれる事になりました。
死に向かう若者、そして子供が欲しくてもできない夫婦。
出会うこともなかったであろう人たちに「子供」を通してほんの一瞬のつながりがうまれました。
お互いに顔を合わせるのは一瞬だったけれど、ロマンの血を引く子供が産まれその子が1人の人間として歩き始めるのです。ロマンがこの世からいなくなったその後も。
letemps.jpg
【日常を撮り続ける...】
死という題材をこれほどまでに静かに描いた作品はあまりないと思います。
カメラが淡々とロマンの日常を捉えている、そして彼もコンデジで愛おしさをこめて風景を捉える。
前半と比較して、彼の表情の変化がよくわかります。
病状は悪化し痛みが増して身体は痩せてきても、最初は険しさや悲しさしかみられなかった彼の表情に優しい微笑みがあらわれるようになります。目の表情が特に変わってきます。
おそらくおばあちゃんにあった後から徐々に。その後姉から一通の手紙を受け取り、彼女が子供と一緒に公園にいるその背後からそっと和解の電話をいれます、その時も一貫して病気の事は告げません。
痩せた身体で少しだけ姉の近くに歩みより、我が子を愛おしげに抱く姉の写真を撮ります。
それが彼のスタンスです。家族とは一定距離をとって遠くから見つめるだけで自分の死を共有はしない。
彼は医師に死を告げられた直後から日常の風景を切り取っています、カメラマンを生業(なりわい)としている彼だから無意識なのかもしれませんが、コンデジを取り出し何気ない風景を切り取っています。カメラマンから離れた平凡な構えない写真です。
【時々現れる子供の姿...そして美しいラスト】
死を身近に意識しはじめてから、ロマンは幼い頃の自分の姿をみるようになります。
嫌な思い出を、死を受け入れることで懐かしく愛おしいものとして思い出しているのでしょう。
彼の中で嫌いな人間の象徴だった「子供」が自分の死後も生き続けてくれる「生」に変化したのです。
この変化から子供に向ける彼の目がとても慈愛に満ちているように見えます。
電車の中、向かいの席で泣き出す乳飲み子に母親がそっと乳を与えるところを優しげに見ている彼。
そして、この映画の始まりはロマンの幼い頃の姿とも思える子供が、海に向かって歩いて行くシーンです。
海が、ロマンの帰る場所として描かれています。
そして、ラストはなんと表現すべきでしょうか。
彼は、ふらふらと歩き自分の死に場所を探しているようにある海水浴場にたどり着きます。
周りは家族連れでにぎわっている中、水着になり海に入って行きます、彼の痩せた後ろ姿はオープニングシーンの痩せた少年のように見えます。
水から上がり寒さに震えながら写真を撮る、砂浜に横たわり流した一筋の涙。
美しすぎるラストシーン。ロマンの横顔がまるで山か何か砂山か、とにかく自然の風景に見えました。
「死」がこれほどまで静かに美しくそして自然に描かれているから感動するのかもしれません、そして「ぼくを葬る」のラストシーンは生まれてから見た映画の中で最高に素晴らしい。
人は誰でも独りで生まれ、独りで死んで行く...そんな言葉を思い出しました。
letemps1.jpg
ぼくを葬(おく)るのは他でもなく「ぼく」だけ、死に方をそして死ぬ場所を決めるのも自分ひとり。
こういう死に方、そしてこういう選択があるのです。
日本では、身内が葬(おく)るのが一般的。独りで亡くなってしまった人は「不幸である」という概念があります。
身内側も、それが葬られる側が幸せだったかどうかを抜きにして自分の中でも役目を果たしたという満足感を得ています。
わたし個人のことを言ってしまえば、ひとりぼっちで死ぬのは寂しすぎます。
撮影の為に過酷なダイエットをして撮影に挑んだメルヴィル・プポー。
精神的にもかなり過酷だっただろうと思いました…がインタビューでこの精神的辛さが役作りに活かせたと語ってたのが印象的でした。

*フランス・ヨーロッパ

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

2013/10/19

ベティ・サイズモア(2001) − その無垢な目がちょっぴり怖い!

nurse_betty.jpg

あらすじ

小さなダイナーでウェイトレスとして働くベティ(レネー・ゼルウィガー)は、親切で誰からも慕われる一方、粗野な夫デル(アーロン・エッカート)は秘書と浮気をし、隠れてドラッグを捌くとんでもない男だった。ベティの楽しみは、病院を舞台にしたソープオペラ『愛のすべて』(A Reason to Love)を見ることで、仕事中にも夢中でテレビを見るほど熱中していた。
そんなある日、ドラッグ絡みで夫が二人組の殺し屋(チャーリー:モーガン・フリーマン、ウェズリー:クリス・ロック)に惨殺されるところを見てしまう。精神の均衡を保てなくなったベティは、自分は看護婦で、ソープオペラの主人公デヴィッド(グレッグ・キニア)が自分を待っていると思い込み、一路ハリウッドへと向かう。しかし、殺人の現場を見られたことに気がついた殺し屋のチャーリーとウェズリーは、ベティの後を追っていくのであった。



(Wikiより引用)

作品情報
監督:ニール・ラビュート
脚本:ジョン・リチャーズ、ジェームズ・フラムバーグ
製作:スティーヴ・ゴリン、ゲイル・マトラックス
公開:2001年5月12日(日本公開)
キャスト
ベティ・サイズモア:レネー・ゼルウィガー
チャーリー:モーガン・フリーマン
ウェズリー:クリス・ロック
デヴィッド・ラベル医師 / ジョージ・マッコード:グレッグ・キニア
デル(ベティの夫):アーロン・エッカート
バラード保安官:プルイット・テイラー・ヴィンス
ロイ(新聞記者):クリスピン・グローヴァー
ローサ(ロサンゼルスでの同居人):ティア・テクサーダ
ライラ(番組プロデューサー):アリソン・ジャニー
エレン(「キャニオン・ランチ・バー」の女主人):ハリエット・サンソム・ハリス


レネー・ゼルウィガーの魅力満載


ブリジット・ジョーンズに並ぶくらいのはまり役だと思いました。
純粋、気立てがいい、他人に好かれる、(完璧な美人ではイヤミだけれど)イヤミがない美人、健康的....こういう役をレネーに演じさせたら右に出るものはいないでしょうね。
ドラマに熱中しすぎて、現実と架空の物語との区別がつかなくなる...っていったら「キモいわ~っ!」ってなるんだけれど、周りの人々は彼女の性格のよさに助けてあげなきゃって気持ちになっちゃうんですね。得な性格ですよね。
連ドラを食い入るようにみるベティの目、表情。
ただただ、イノセント !!
レネー・ゼルウィガー、まったくもってすごい女優さんだと再認識しました。

nurse_betty1a.jpg

モーガン・フリーマンとクリス・ロックの親子がまたデコボココンビというか息子はどこか冷めていて冷淡、父親は人間味にあふれているというかロマンチックを夢見ているご老人なんですね。
2人の掛合いが絶妙なテンポで最高です。
モーガン・フリーマンって常にどこか悟り切ったような役が多いですが、ここではベティを追いかけているうちにあれこれ想像力が働いて写真の中の彼女に恋をしてしまいます。

nurse_betty3.jpg

一方、ベティはロスにでて看護婦のコスプレをして病院に勤務しようとします、少し勉強をしたこともあって人命を救い実際病院に勤務しちゃいます。(薬局ですが)
そうそう...ロスに向かう度の途中で寄ったバーの女主人との会話がすごくよかった。
ベティがまだ小さい頃におこづかいをためて、病気のお母さんに憧れのホテルの宿泊をプレゼントたエピソード。
バーの女性はとても感激して、ベティに心を開き自分が「ローマの休日」に憧れてローマに旅行に出た話をするとベティは「私はカンザスから出たことがないの」と。
会話の最後にベティがドラマと現実がごちゃまぜになったおかしなことを話しだすのだけれど、普通は「ふざけないで!」っていいたくなるだろうけれど、女主人は「おかしな女」とか突き放したりしないんですね、彼女の無垢でけなげさな目を見て心が通じたのでしょうね。

nurse_betty2.png

ベティは、ロスでドラマの主役の俳優と実際に会うことになります。
この部分がこれまたなんだかハラハラドキドキしちゃって。
映画のところどころに夢見てるベティの内面にあわせるように「ケ・セラセラ」が流れたり、音楽がピッタリでよいです。
お話の展開もベティの頭の中のような少し現実離れした流れになっていますが、レネーの演技がしっかりと見ている人の心を捉えているので大丈夫。
そしてラストは....
私は違う展開になってほしかった、モーガンの夢を叶えてもらいたかった個人的には。
ま、いっか、ベティが幸せになったんだし♪
作品に溢れるほんわか優しい空気はレネーの演技力のお陰なのでしょうね。
レネーのプックリ唇も可愛らしくて、相変わらずチャーミングでした手

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

2013/10/18

ラブリーボーン

the-lovely-bones-01.jpg
JUGEMテーマ:映画




ラブリー・ボーン。
2010年に日本で公開された映画です。
シアーシャ・ローナンの名前を日本に広めた作品と言えますね。
例によって劇場には出向かずDVDで見ました。

私、自分で気になっていて見たいと思う作品でも映画レビューのサイトなどであらかじめどんな評価を受けているのか眺めてから見ることが多いです。
何より他の人との感じ方の違い….自分が観た後でどう違っているかを知るのが面白い。たまには評価通りの時もあるし…とにかく人それぞれの好みで感想も違ってきます。
ちなみに「ラブリー・ボーン」は、意外にも”暗い映画だ”、”最後がスッキリしない”といった感想が多数あって評価の点数も低かったです。(5点満点で3点くらいの評価でした)
私は、不思議に暗い映画という感想は始めから終りまで一度も感じませんでした。
むしろラストは、微笑ましくさえ感じました。

あらすじ
スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)は、14歳。父(マーク・ウォールバーグ)と母(レイチェル・ワイズ)に愛され自由で楽しい毎日を過ごしていた。あこがれの男の子レイ・シンとデートの約束をして別れた学校の帰り道...トウモロコシ畑である者に襲われ、殺されてしまう。そしてスージーの魂は肉体から抜け出し地上と天国の間の場所にたどり着く。父は犯人探しに明け暮れ、母親は娘を守れなかった罪悪感と身内の死に向き合えなく苦しむ日々。いつしか家族の心は離ればなれになっていく。そんな家族の姿を見守りながらスージー自身も悲しい想いをしていた。
作品情報
ラブリーボーン(原題:The Lovely Bones)
監督      ピーター・ジャクソン
脚本      フラン・ウォルシュ、フィリッパ・ボウエン、ピーター・ジャクソン
製作      キャロリン・カニンガム、フラン・ウォルシュ、ピーター・ジャクソン、エイメ・ペロンネ
出演
スージー・サーモン:シアーシャ・ローナン
ジャック・サーモン(スージーの父):マーク・ウォールバーグ
アビゲイル・サーモン(スージーの母):レイチェル・ワイズ
リンジー・サーモン(スージーの妹):ローズ・マクアイヴァー
バックリー・サーモン(スージーの弟):クリスチャン・アシュデール
リン(祖母):スーザン・サランドン
ジョージ・ハーヴイ:スタンリー・トゥッチ
レン・フェナマン(刑事):マイケル・インペリオリ
レイ・シン(スージーの初恋の相手):リース・リッチー
ルース:コナー:キャロリン・ダンド

公開日
2010年1月29日 日本公開
男女が恋におちて結ばれ、やがて子供が生まれる。
恋愛を介して繋がり生まれくる新しい生命、そこから「家族」というまた新たな結びつきが生まれます。
家族の繋がりは一瞬でできるものではなく、長い年月をかけて子供を守り育て、さまざまな経験を経ながら親として成長していきます。
この映画の中でも子を持つ以前、恋人として過ごしていた時間...インテリっぽいスージーの母親(レイチェル・ワイズ)は当時ベッドの上でカミュの小説を読んでいました。
時が流れ子供が生まれ、それでもアツアツぶり全開の2人…ただ彼女が手にしている本はいつしか「育児書」に変わり、ベッドのサイドテーブルには愛娘の写真が飾られています。
そんな風に少しづつ気がつかないうちに変化し、「家族」が築かれていく。
サーモン一家を見て、無意識に自分に置き換えて見てしまう自分に気がいました。
映画の中の家族に自分と自分の家族を重ねてしまうのだから、涙腺は早くも緩んでしまうことになりますね、やっぱり。。。
LB_mother.png
【スージー・サーモン。14歳の女の子】
冒頭でスージーがまだ3歳くらいの頃、スノードームの中のペンギンを見て「ひとりぼっちでかわいそう」と涙するシーンがあります。
彼女の父親(マーク・ウォールバーグ)は「大丈夫、ペンギンは毎日幸せなんだよ。パーフェクトな世界にいるから、寂しくないんだ」と諭します、素敵なシーンです。
スノードームの中のペンギンがスージーであり、スノードームが「天国」ですね。
lovelybones1.png
シアーシャ・ローナン演じるスージーが愛らしく、可愛らしくて、家族想いで、機転が利いていて、とにかくなんと表現すればよいか...幸せを象徴する存在、幸せそのものなのです。
誕生日に買ってもらったフィルムカメラで目に映るもの全部撮りまくり、あっという間にフィルムがなくなってしまう…カメラを趣味にしている方なら特に納得できるはず。
14歳といえば、そろそろ恋するお年頃...スージーにもあこがれの男の子が現れます。
ラッキーなことに、相手の男の子レイ・シンも、スージーに恋心を寄せています。
Lovely_1.jpg
彼とデートの約束をして足取りも軽く家路につくスージーに思いもよらぬ不運が襲いかかってきます。
好奇心おう盛なスージーは、家に帰宅することも憧れのレイとデートすること、そして青春を謳歌することも叶わなくなってしまいました。
殺(あや)めた人間は、始めからスージーが普通の平凡な女の子と違う部分に気がついてそこにうまくつけ込んだと思います。
【スージーの死、幸せだった家族が変化していく】
幸せな家庭に親の愛情を受けて生まれ育った女の子は、きっと自分も同じような家庭が築くことができたはず...それも叶わぬままになってしまう無念さ。
スージーは14歳でこの世界からいなくなってしまいました、恋やさまざまな人生経験もしないうちに。
「残酷な犯罪者を捕まえてもっともっと苦しみを味わわせてやりたい。」
ここまで見てこういう親目線になってくるのは私だけではないと思います。
TVで殺人事件のニュースを見る度に親御さんの気持ちを思うと「殺人者にも同じ苦しみを与えたい」と感じる人は多いはずです。この作品もそういう感情でいっぱいになります。
殺人事件の犠牲者の家族の気持ちは計り知れないもの。スージーの父親は夜も眠れないほどに娘を想い、何としてでも自分の手で彼女を殺した犯人を捕まえることで頭がいっぱい。子供に向ける父親と母親の愛情は実は違っています。
母親は子供を自分の血肉の一部のような感情を、父親はそれよりは少し一歩引いて見守るような深い愛情を持っています。
��専門用語を用いたような学術的な巧い説明ができませんが…すみません)
自分の血肉の一部である娘を失ったスージーの母親は彼女の死と向き合う事ができません、スージーの思い出がいっぱいの部屋も入らない...無意識に避けてしまいます。義母のリン(スーザン・サランドン)ともぶつかるようになり、とうとう家を出てしまいます。
【地上と天国の間の場所】
しばらく地上をさまよっている家族や殺人者を見ている間、スージーは最初自分が殺害されてこの世の者でなくなっていることにも気づきいていないようでした。
気がついたのは、普通の人が見えない何かが見える不思議な能力を持つ女の子ルース・コナーだけ。
映画から少し離れますが、天国の手前にある場所という概念が私にはなかったので少し衝撃でした。
かといって、そういう場所が存在するか天国がどんな場所かは誰も知らないことなので、ピーター・ジャクソン監督の1つの提案として受け止めて見るとよいと思います。
天国と地上の狭間の場所から、家族の様子を見ているスージーがかわいそうですっかり、スージーに感情移入してしまい涙が止まらなくてティッシュの箱を片手に見ていましたね。
特にバックリー(スージーの弟)が「昨夜、ボクの部屋にスージーが来てキスして行ったんだ」というシーンとか天国にそっくりな絵を描いて指差しながら「スージーは今、ここにいるんだよ」というシーンはもうボロボロ状態でした。
LB_picture.jpg
スージーの父親も、天国に行く手前の世界にいるスージーをとても近くに感じていました。さまざまな登場人物に感情移入しつつ、その人たちの目線で見てしまう...そういう風に意図して創られていると思いました。
the-lovely-bones-11.jpg
【そして、スージーがやり残したこととは】
スージーの父親は、犯人の目星をつけ彼を捕まえようと大胆な行動に出ますが、その想いもむなしく瀕死の重症を負ってしまいます。それを見ていたスージーの悲しそうな表情...胸が締め付けられました。
スージーの妹も果敢に犯人を捕まえようと危険な行為にでます。
LB_sister.jpg
失敗しても何度も何度も立ち向かう家族の姿は、スージーが生前父親に教わった教えそのもの「失敗したら最初からやり直す、そしてやり遂げるまで頑張る。それは人として当然のことだよ」という言葉でしっかり繋がって実行されているのです。
ネタバレになってしまいますが、妹の勇敢な行動で犯行を証明する証拠も手に入れることができますが最終的にはなんと犯人に逃げられてしまいます。遺体も見つからないままに終わってしまう、この部分こそが映画に対する賛否両論...むしろ否定派が多い原因であると思います。
私も最初は「犯人を捕まえて苦しみを与えてやりたい派」でした。
でも、途中でスージーの考え方が変わったことで気がつきました。
彼女は、父親が犯人を捕まえる為に瀕死の重症を負う場面を悲しい表情でじっと見守っていました。そして「パパを自由にしてあげたい」と心から願いました。もし、犯人が捕まりスージーの遺体の場所が判明してそれを目にした時、家族はどのようなことになるでしょう。再び憎しみの炎が燃え上がり、犯人を死刑台におくる為の裁判に何十年という月日を費やすことになる、その間はスージーの死や変わり果てた姿の彼女から離れる事は出来なくなるでしょう。家族全員が呪縛から離れられないまま人生の大半を過ごす事になるのです。
それを回避するよう仕向けたのは、他でもないスージー自身でした。
スージーがなんとしてでもやり遂げたいことは「犯人を自分と同じ苦しみを与えること」ではなく、なんとも可愛らしい14歳の女の子っぽいことでした。それを遂行した後の彼女の表情がとても可愛らしくて。
こればかりですが....けなげさ、一途さに一気に泣けました。
lovely_bones_kiss.png
【復讐の物語を描いているのではありません】
「ラブリー・ボーン」は14歳の女の子が殺されてしまい、その後家族が力を合わせて復讐するという単純な物語ではないことが最後のシーンで理解できます。
冒頭と同じセリフが繰り返されます...私の名前はスージー・サーモン...お魚みたいな名前でしょ?...
ふっとそよ風が吹いて誰かの頬に触れ、一瞬のうちに去って行くような軽やかな空気が満ちています。
スージーが地上と天国の間の場所で地上での悲惨な出来事や家族を見ながら悲しみ苦しみ、やがて何かを悟り穏やかな気持ちで本当の天国へと旅立っていきます。
「殺人」というディテールが盛り込まれているので、否応にも殺伐とした印象を受けますが、実はおとぎ話なのだと私は受け止めました。
いろいろな意味で泣けました。
死んだ後も、こんな風に家族と触れ合っていられたら素敵...
天国がこの映画のようにパーフェクトな場所だったら逝くのも恐くないかな..
と不思議なやすらぎを貰いました。
ちなみに私の描く理想の天国...ラブリー・ボーンに出てくる風景に限りなく近くてBGMにエンヤの「May it be」が流れているような、そんなカンジであってほしいですわ。
ただこの映画、残念なことがひとつあります。エンドロールで流れる音楽がよくないのです。感動しながらラストを迎えてそこで突然その感動が止まってしまうような音楽が入りエンドロール。
こんなにも感動しながら、エンディングに涙も止まってしまうような経験ってあまりないので少し驚きました。
エンディングに流れる音楽はとても大事ですよ、しっかりチョイスしてくださいませ~って心底思いました。
lovelybones4.png
スージーの父親役は当初、ライアン・ゴスリングが演じる予定だったらしいです...ライアンも好きですがマーク・ウォールバーグがまさに適役だった、彼はジャック・サーモン(=スージーの父)になり切っていました。
最後に、映画の原作本(アリス・シーボルド著「The Lovely Bones」)は読まない方がいいかな...って思いました。なんだかスージーの死体のことなどが生々しく書かれているような気がして映画の見方が変わるような気がするんですよね。(気が変わるかもしれないですが^^;)あくまでも、私の私見です。
heaven2.png
そして、シアーシャ・ローナン。
すっかり成長して美しいですね。
「ビザンチウム」見ていないので、早く見たいですわ。。。
きっと、またDVDになってしまうと思いますが
にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

2013/10/09

もう、会うこともない3人の旅...天国の口、終りの楽園。

JUGEMテーマ:映画

y tu mama tambien1.jpg

ロード・ムービーを漁って見まくっていた頃、偶然見つけた作品が本作「天国の口、終りの楽園」(メキシコ映画)です。
主演は、モーターサイクル・ダイアリーズのガエル・ガルシア・ベルナルとフリーダにちょこっと出ていたディエゴ・ルナ。監督は、「大いなる遺産」や「ハリポタ」シリーズのなんだったかな…とパリ、ジュテームのニック・ノルティが出ていたあの作品などを手掛けたアルフォンソ・キュアロン。
というワケで監督、キャストがメキシコ人のメキシコ映画です。
ちなみに脚本はアルフォンソ・キュアロンと弟のカルロス・キュアロン、撮影のエマニュエル・ルベツキは私の好きな作品だと「赤い薔薇ソースの伝説」「スリーピー・ホロウ」そして「アトランティスのこころ」の撮影も手がけている方。手持ち撮影を多用しているようですね...やはりメキシコ出身です。
映画の原題も当然スペイン語で
Y tu mamá también
「お前のママとも同じだよ」っぽい意味。ラスト近くになってフリオの口からこのセリフが出てきます。
真相を理解できた時、おいおい...マジで?ってなります。

y-tu-mama-tambien3.jpg

ストーリー
フリオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)とテノッチ(ディエゴ・ルナ)は高校卒業したての17歳。テノッチは有力政治家の息子、2人ははっぱやそれぞれの彼女とのエッチを謳歌しながら暮らしていた。それぞれの彼女がヨーロッパへ旅行に出かけてしまい、ヒマと性欲を持て余していたある日、ある結婚パーティで、テノッチの従兄弟の妻である美しいスペイン人の女性ルイサ(マリベル・ヴェルドゥ)と出会う。彼女を誘い出すために適当に言った「天国の口(Boca del cielo)」というビーチの話を最初は適当に受け流すルイサ。しかし、ルイサにとってあるショックな出来事があった日追い打ちをかけるように夫(テノッチの従兄弟)が、不倫していたことを電話で告白される。取り乱したルイサはテノッチに連絡をして旅に付いて行くと告げる。3人は「天国の口」へフリオのボロ車で向かう。「天国の口」にはたどり着けるのか。

作品情報
監督      アルフォンソ・キュアロン
脚本      カルロス・キュアロン、アルフォンソ・キュアロン
製作      アルフォンソ・キュアロン、ホルヘ・ベルガラ
出演      ガエル・ガルシア・ベルナル、ディエゴ・ルナ、マリベル・ヴェルドゥ
撮影      エマニュエル・ルベツキ
公開      2001年(メキシコ)


y_tumama_tambien2.jpg

この映画、とりたててストーリーといったストーリーはないのです。2人の若者と人妻がある場所を目指して旅に出るセックス&ドラッグに溢れるひと夏のお話です。
よこしまな想像はしてしまいますよね、この設定ですから...若者2人に人妻との旅...途中で目眩くシーンが盛り込まれてて、なーんてね。
車中から眺める流れゆく一瞬の風景、ドライブ中に出てくる馬鹿げた会話もこれまた刹那的。
メキシコの赤土でホコリっぽい空気を通してみる景色、時々すべての音が消されフリオとテノッチの心情、その時の政治で動くスペインの日常の様子を語るナレーションが淡々とした時の流れを際立たせています。
仔犬のようにふざけ合う若者2人と若者に体を許しても寂しさを拭いきれない人妻ルイサ…気が強くて若者たちを支配しながらも実はその心は脆さと危うさが共存しています。
最後はみんな違う方向に向かって歩き始めることになるわけだけれど、きっと“天国の口”を探した夏はほろ苦く甘く、それぞれの中に残ると思います。
凝ったストーリーはなくても特有の雰囲気とメキシコシティから海辺までの景色、若者の刹那的で自堕落でカオス的日々を切り取ることでノスタルジックな気分にさせてくれる素敵なロード・ムービーです。
中でも私がいいなと思ったシーンは、フリオとテノッチが彼女達を空港に送り届けた日の描かれ方。
空港の帰り道、車の中では彼らのおバカな会話にバカ騒ぎ、外ではデモ行進やら死亡事故、そこに淡々とナレーションが入る…新聞記事でも読んでいるように...地味だけどすごくよいです、こういうところ。
所々に、「お....」と響いてくるセリフもあります。
天国の口、終りの楽園
この邦題、かなりそそられるし、映画の持つ切なさも表現されていて納得できます。
余談ですがメキシコ映画だと「赤い薔薇ソースの伝説」や「アモーレス・ペロス」もよいですね~

プールで潜水するシーン。青春、若さ、刹那的…手法の一つとして他の映画でも多用されています
Y-Tu-Mama-Tambien4.jpg


男子2人はのう天気に遊んで、ルイサは電話を切って大泣き...この対比。
このシーンも好きだわ..
Y-Tu-Mama-Tambien5.jpg


こちら日本版DVDパッケージ...”もう、会うこともない。
 映画のすべてがここに表現されております
y_mama_tan.jpg

#ロードムービー

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

2013/10/07

その夜の侍

sono_yoru_poster.jpg

「その夜の侍」
見終わった後、胃がもたれるような不快感に襲われました。
いやー、なんともカラダに悪い作品です…消化不良起こすかもしれません。
しかしながら、この映画は決して駄作じゃないんです。
全体に漂う空気感と人間の描き方が特別なので好き嫌いは必至です、これから見る方は心して下さいませ。
みどころは
演技全力投球、堺雅人 VS 山田孝之どっちが上手いか?
もちろん、そうです!
彼らは演技派です、言わずもがな。
加えて綾野剛さんはじめ脇役陣も負けないくらいの演技してます…特にいいなーと思ったのが中村(堺雅人)の義兄 青木役の新井浩文さん、鉄工所の従業員役の高橋努さんがどこにでもいそうな男、オジサン(?)ってカンジでいいですね。自然なんです、演技を感じさせなのです。

ストーリー

小さな町工場を営む中村健一(堺雅人)は、5年前にひき逃げで最愛の妻(坂井真紀)を失って以来、妻との思い出に囚われて絶望と孤独の日々を生きていた。一方、2年の服役を終えて出所したひき逃げ犯の木島宏(山田孝之)は、相も変わらぬ傍若無人な振る舞いで反省とは無縁の生活を送っていた。そんな木島のもとに、“復讐決行日”までをカウントダウンする匿名の脅迫状が届くようになる…。


allcinemaより引用)

映画情報
監督・脚本・原作:赤堀雅秋
出演:
      堺雅人、山田孝之、 綾野剛、高橋努、
      山田キヌヲ、坂井真紀、谷村美月、安藤サクラ、
      田口トモロヲ、新井浩文
公開:2012年11月17日


堺雅人 VS 山田孝之


堺雅人さんが主人公 中村になりきりぶりが凄まじい、牛乳瓶の底みたいな(旧い言い回しだわ)眼鏡を汗だか手あかだかで曇らせに髪はベタベタっぽくて近寄りたくないようなくたびれた男を熱演しています。
最期の日に留守電に残っていた妻の声を消せず延々リピート、ポケットには妻のブラジャーを入れて持ち歩いてるし。ナマナマしすぎるくらいです。
いつも見慣れている堺さんじゃないから、豹変ぶりにかなり驚きました。
言われなければ堺雅人だって気がつかないくらいです。
糖尿病であるのに、生前妻に注意されていたプリンの“ドカ食い
がやめられないし、タバコも吸い続けている。
どんだけ意志が弱い男なんだよ!
中村の荒んだ様子を心配する亡き妻の兄 青木、そして工場で働く従業員の久保。
人間関係が微妙というか生温い? とにかくよくわからないんですね。ほんとに心配しているのかよってカンジ。
一方、悪人 木島役の山田孝之。
私、もともと彼のファンでもあったし、その演技力は知ってるつもりでした。
しかし、この映画では「さすが山田くん!悪役もなりきり演技ですばらしいわ」なんて言えませんでしたね。
山田孝之というか、木島に吐き気をよおしました、それほどイヤなクズ人間でしたね。
「何、このクズだかカスだかわからないような男...最悪だわー!」って心底思いました。
それほど、頭からつま先まで木島という超悪人を演じ切っていたということでしょうね。
ファンをも不快にしてしまうような演技力…うーんやっぱただものじゃないわ、このヒト。 

(結局、山田孝之に共感してしまっておりますが)

sono_yoru1.jpg
 

いまどきの人と人との繋がり方


この映画で胃がもたれるような不快感を感じた原因は堺&山田の演技だけではないのです。
先に説明した生温い人間関係に加えて、悪人の木島に反抗もできずにだまってズルズルとついていくおバカな人間どもが腹立たしいんです。
義兄の青木までもがノコノコ木島のところまで行って、お金を渡したりするし、(中村がストーカーっぽく木島を付け回したり「お前を殺して俺も死んでやる」という手紙を送りつけているので義兄として面倒を見ている)
この人たちってかなりおかしな人間関係に見えますが、生温い表向きだけの付き合いって現実にもあるし、孤独でいるよりもゆるい繋がりや他愛のない会話を求めて生きているんですね、現実社会においても。
木島がどんなに悪人でも、周りに集まる人たちもそう特別な人ではないし、自分が必要とされている、共存していることで「孤独じゃないんだ」って安心していられるんだと思います。
ホテトル嬢が「なんとなくヒマだからこの仕事している」というセリフが、妙に説得力がありました。


sono_yoru2.jpg
 


え…?な結末


フラストレーションが残るのはラストに中村と木島が対峙する場面です。
多くの人は、中村の行動に納得いかないんじゃないかな。
すごく無ざまでカッコ悪いし。
「えー?なんなの、この人、ほんとに怒ってるの?」って感じました。
ラストでの中村のおかしな行動を見て、「こういう結末でいいの?」って考えて...うーん、いいのかなってふわっと納得してました…漠然と。
独特の間のとりかた人物の描き方、クセのある映画です。
ハマる人はハマるけど、「これはワケ分かんないわ」と思う人もいるでしょう。
私は、結局気分が悪い思いをしても、もう一度見たくなりました。


sonoyoru3.jpg




にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

2013/10/06

なんだか気になって...

さきほどupした記事で、初めてMary's Prayerを聴いたのはラジオ番組で…と書いてから大伴良則さんがDJをつとめていたFMの番組名がやたらと頭に引っかかって…
湯船につかりながら、NHK FMとエンディングにThe Systemの”Don't disturb this groove”が流れてたなーってとこまで思い出して….お風呂あがったらコレで検索かけてみよう!って思ったら急に思い出しました^^
ミュージックシティでしたわ。゚ヽ(゚´=Д=`)ノ゚。ヤッターン
ピーター・バラカンさんも別な曜日のDJでした。
じゃー、気持ちよく思い出したところでエンディングに使われていた曲も貼付けておきましょうか~っと。



あー、スッキリした(´_ゝ`)
めずらしく、連投でしたぁ



2013/10/05

Cinema music No.2 “メリーに首ったけ”

theres_something_about_mary.jpg

2回目のシネマミュージックは、先日ブログにupした「ジム・キャリーはMr.ダマー」の監督であるファレリー兄弟の作品「メリーに首ったけ(原題 There's Something About Mary)のサントラの1曲を紹介します。
まず軽く映画の紹介を…

キャスト
キャメロン・ディアス、ベン・スティラー、マット・ディロン
監督
ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
公開
1998年 アメリカ公開


ストーリー


内気で不器用な高校生テッド(ベン・スティラー)が憧れのメリー(キャメロン・ディアス)とデートする幸運をつかむが、ズボンのファスナーがひっかかるトラブルがもとでデートは中止、メリーとの仲もそれきりになってしまう。13年後、テッドはまだメリーのことを忘れられず--やや妄執的--、怪しげな探偵パット・ヒーリー(マット・ディロン)を雇って、マイアミに住むメリーを調査してもらう。ところがパットもメリーに夢中になってしまい、テッドとパットのあいだで騙しあい化かし合いのメリー争奪戦になる。やがて2人はメリーに首ったけなのが自分たちだけではないのを知り、結局、5人の男たちがメリーに自分を選ぶよう迫ることになる。



(Wikiより引用)


このシーンも笑っちゃうんだ、これまた...
なぜ前髪がこんなありさまなのでしょうかっ!ぜひ見てくださいませ...

S_About-Mary-mf01.jpg

やはり90年代の映画ですねー、かなり笑いました。ベン・スティラーもそれほど知られていなかった頃ですね。
キャメロン・ディアスもまだ可愛らしかったですわ♪
それで、肝心な紹介したい曲です。映画の前半にちょこっと流れてるだけですがメロディアスな曲で結構印象に残ると思います。(自分だけかな^^;)
『Mary's prayer 』 (ダニー・ウィルソン)です。
タイトルが”Mary...”なのでサントラ曲に入ったのかなと勝手に想像しています。



「メリーは...」のサントラで使われる前から、この曲が収録されているアルバム『Meet Danny Wilson 』は所有して聴いておりました。
( 発売は'80年後半です…もっぱら”Mary's prayer”を繰り返し聴いていました。)
当時、Mary's prayerはUKでチャートの3位だったんですね、全米でも20位内に入っていた気がしました。。。
初めてこの曲を聴いたのが大伴良則さんがDJを勤めるラジオで
「ボーカルの声がスティリー・ダンのドナルド・フェイゲンにそっくり」
と紹介されていて聴いてみてびっくり、あれまー! 確かにそっくりだわって思いましたね…
( 番組の1曲目に紹介された事まで覚えております。曲のタイトルもいいですよね...曲名だけで何かドラマチックな場面が浮かんできます。)
Wikiを見ていたら、影響を受けたミュージシャンにスティリー・ダンが挙ってました、なるほどぉ

次回はファレリー兄弟から離れますね~(笑)