My Cinema Talk World: 指先からソーダ...不器用な人間のコミュニケイトの仕方は

2012/02/02

指先からソーダ...不器用な人間のコミュニケイトの仕方は

指先からソーダ

今は、最近お気に入りの作家である
山崎ナオコーラさんの
「指先からソーダ」
というエッセイを読んでいる。
作品を読み進めていくうち、文体から彼女の性格がぼんやりと読み取れる。




人間っぽい...
しかし、生き方はどこか不器用そう

相手とコミュニュケイトしたいのになかなか理解してもらえない
モドカシサ
のようなもの

だけど
だけど
彼女は本当に書くのが好きで賢明に相手に
「想い」を伝えようとしている
そんな雰囲気が伝わってくるのだ、この作品は。

生身の人間とのコミニュケイトが苦手な人は、
文章として書くほうが得意な場合が多い気がする。
文章は自分の気持ちを人に伝えるまでワンクッション置くことができ、
書いている間に自分の感情を抑えることができる。
私も、面と向かって相手と話すことはどちらかというと苦手なほうだ。
話そうとすればするほど
感情が先走ってしまい、それをコントロールしなければならなくなるから。
そのコントロールが余計な方向に動いてしまい結局はうまくキモチを伝えられなくなる。
気心が知れていて、相手が心を開いてくれている場合は別。
余計なコントロール、気遣いは不要で
相手がそれをわかってくれているからだ。
そういう相手とは、聞くのが大変だろうと思うほど話を聞いてもらう。
そしてもちろん、相手の話も聞く。

話題がそれてしまった
「指先からソーダ」
の話に戻ろう。
本の帯に

”ナオコーラさんは上手に書こうとしない。
いつでも「本当のこと」を
書こうとしている。
書きあがったそれは
「結論」ではない.......”

とある。
確かに!
どこかで心を開いて話せる友達と繰り広げるとりとめのない会話だ。
そこには結論などは決してないのだ。
面白おかしく笑って、
好き勝手喋るだけ喋って
バイバイ。
なんとなしにそんな気軽さ、爽快さに似ている気がする。

”シロップをこぼした場合の処置法”
というタイトルのエッセイがある。
それを読んだときも、彼女の
男性に感じるキュートな部分
.....ツボとでもいうかな
が自分と少しだけ似ているなと感じた。


さて
また雷です。
雷が鳴ると梅雨が明ける
というけれど
この夏は何度となく雷鳴を聞き、
そのたび
「きっと梅雨明けだね」
を繰り返している自分です。

注) 以前の記事より文章の修正や加筆をしています。
出典
2009/07/27記事 私の車ブログ「指先からソーダ....不器用な人間のコミュニケイトの仕方は」より

原作本
「指先からソーダ」