My Cinema Talk World: 「6才のボクが、大人になるまで。」ー 自然に流れる時間、少年と家族の12年間。

2014/11/16

「6才のボクが、大人になるまで。」ー 自然に流れる時間、少年と家族の12年間。



「6才のボクが、大人になるまで。」公開劇場が少なすぎる!とぶぅたれながら一番近隣上映館である東京まで行ってみてきました。
90年代のようにミニシアター系の映画をもっと上映拡大して幅広い層にみてほしいなぁとつくづく思います。
観る前から知っていたことは、この作品はハリウッド映画的な定型プロットから逸脱しているからそれらに慣れてしまっている人には「何をいいたいのか」という感想しか持たないかもしれないということ。
現に某映画の感想サイトでは
「お金を払って長々と所帯染みた画像を延々と観なければならないの?」
「ただただ長過ぎる」
という感想も見ました…予想通り!

キャスト
エラー・コルトレーン : メイソン・エヴァンス・ジュニア
パトリシア・アークエット : オリヴィア・エヴァンス
ローレライ・リンクレイター : サマンサ・エヴァンス
イーサン・ホーク : メイソン・エヴァンス・シニア
リビー・ヴィラーリ : メイソンの祖母
マルコ・ペレッラ : ビル・ウェルブロック
ブラッド・ホーキンス : ジム
ゾーイ・グラハム : シェーナ
チャーリー・セクストン : ジミー
ジミー・ハワード : ミンディ・ウェルブロック

スタッフ・作品情報
監督・脚本 リチャード・リンクレイター
製作 リチャード・リンクレイター
キャサリン・サザーランド
ジョン・スロス
ジョナサン・セリング
撮影     リー・ダニエル
シェーン・ケリー
編集     サンドラ・アダイア
配給     IFCフィルム(アメリカ合衆国)
ユニバーサル・ピクチャーズ
東宝東和(日本)
公開 2014年1月19日(第30回サンダンス映画祭)
アメリカ公開 2014年7月11日(限定公開)
日本公開 2014年11月14日
原題 Boyhood
公式サイト http://6sainoboku.jp/

ストーリー
父母が離婚し、姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)とともに母オリヴィア(パトリシア・アークエット)に引き取られ暮らすメイソンJr.(エラー・コルトレーン)は6才。ある日オリヴィアが祖母が住むヒューストンに引っ越すと言い始める。友人に何の別れも告げられずに旅立つメイソンJr.。ヒューストンに移ると母親は大学に通い、新たに何かに挑戦する様子。
アラスカに旅に出ていた父親 メイソン・シニア(イーサン・ホーク)が戻り、彼らの引っ越し先に定期的にやってきて子供達をボーリングに連れて行ってくれたり楽しいひとときを過ごす。そんな折、大学に通っていた母がウェルブロック教授(マルコ・ペレッラ)となにやらうまくいっているカンジ。教授も離婚し、2人の子持ちである。やがて2人は再婚、それぞれの子供達と一緒に暮らし始めるが…




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若干のネタバレが含まれます
何度もしつこくいうけれど、公開劇場が少なすぎ...私は福島に住んでいますが東京まで出て観てきました。
11月14日から公開されて、私が見にいった15日も満員で(TOHOシネマズ シャンテで、午前11時の回です。)年齢層は子供はいないながらも若い人、中年層、お年寄りまでさまざまでした。
隣の席が老夫婦であることにほっこりしていましたが、映画が始まるとすぐ隣にすわっているおじいちゃんが画面が変わるたびに
「うん、うん…うん…」と最初から最後までずっと言い続けていたので現実に戻されてしまった感があって、とにかく参りましたorz

典型的ハリウッド映画みたいに途中で何か突拍子もない事件が起きてそれを機に転がるようにあっと驚くような展開があってラストを迎えすっきり...といった内容ではないです

公開からまだ2、3日もたってないので「いい映画だった」「感動した」ってツイッターなどでは絶賛されていますが、しばらくすれば
『12年かけて一人の少年の変化を捉えたとて、どんな意味がそこにあるの?』といった感想も見られるでしょう。



この作品には、いろいろな楽しみ方があります。時代の変化にともなう文化、バックに流れる音楽、そして少年と家族の変化を自分のことのように感じ共感したり。
彼が大人になるまでに経験することがアメリカと日本でかなり違うなって驚きもありの...マリファナ、酒の体験とか性体験とかね...自分の子育てで後悔して凹んだり、とにかくさまざまな想いが湧きあがってきましたね。
何のことはないある家族の12年の変化を捉えた作品の中で、少年がそしてその親が成長や変化するのは当然。
知っている少年がしばらく会わないうちに「大きくなったね」ってことはよくあることだけれど、身内でもない少年の日々成長していく姿などはみることはできません。
一方で我が子であるとあまりにも近過ぎて成長していることなど気づかずに日々を過ごしています。
近過ぎても遠過ぎても感じる事ができない時間の流れと空気を感じることができるというのが本作のスゴいところです。
 自分のことのように追体験しつつ、1人の少年を客観視することによって過ごしてきた時間の愛おしさのようなものを感じさせてくれます。

メイソンJr.の父母は何度も離婚したり(母親)、子供がいながらミュージシャンを夢みたり(父親)決して立派な人間ではありません。
しかしながら、母親オリヴィアは親として子供を守り育てる責任を果たし、父親メイソンSr.も自分の夢を一旦中断し保険会社で働きたまに会って親子の時間を作り子供と触れ合っています。
親たちの口から出てくるセリフは「なるほど...」って感心し納得してしまう言葉がたくさんあって、自分にも親としてこれくらいのことが言えていればなぁなんて考えちゃいましたね。
アメリカでは日本と違って18才になれば立派な大人として巣立って行くという考え方があって、その「巣立ち」の日から以降の人生は本人が決め選んだ道を歩んでいきます。
自分一人で歩んで行く時にその選択や生き方には、少なからずそれまでの親たちの言葉や振る舞い育て方、そしてここまでくる間の経験が大きく影響してくるはずです。



ラストのそっけないほどまでにふっとカメラをメイソンJr.からはずす終わらせ方が「えぇっ?こんな風でいいの?? 」ってびっくりしたけれど、少し時間が経って考えると映画の中でメイソンくんを独り立ちさせるとともに12年間この作品の俳優として拘束されていたエラー・コルトレーンという青年をすべての作業から解き放っているのです。
「これからは君の人生、俳優じゃなく一人の男として自由に歩いていきなさい」
というエラーくんとリンクレイター監督との別れ、そして三時間に渡るメイソンの成長を見届けた観客たちとの別れがこのラストにあります。
不思議と少し時間がたつにつれ、じわじわ自分の中の思い出のように溶け合って蘇ってきます。

この映画はドキュメンタリーではありません。
ただ既存の映画との違いは「作り物くささ」を排除するように脚本が作り込まれているところ。特別な手法で観客の記憶や心に刻まれるように敢て誰にでもあるようなストーリーが展開されていきます。
だから、人が突然死んだり交通事故に見舞われ家族が悲しみに包まれたりといったストーリーにはなっていません。
日本で知られている倉本聰氏の「北の国から」とは異質な部分がまさにここにあるといえます。創作物でありながらそう見えないように構成されているのです。
映画に現実脱却を求めている時は、本作の単調な流れと長尺は苦痛にしか感じられないでしょう。

いわずもがな、音楽もよかった...あ、チャーリー・セクストンが出てるのに気がつかなかったです^^;